2018年09月02日

 くじら




鯨を食べることに抵抗が無いのは、小学校の給食で副菜として食べていたからだと思います。よく出た献立は『クジラの竜田揚げ』筋っぽくてよく噛まなければいけないので一等美味な逸品ではありませんでしたが、下味がしっかり付いていておかずとしては大好きでした。長じて鯨肉などを食べる機会は減り、今現在食卓に鯨肉が無くても一向困りませんし、多分これからも鯨肉が無くても生きることに支障はありません。

この時期(太地町の追い込み漁解禁)になると、欧米の方が捕鯨に対してヒステリックに反対するのも対岸の火事的に眺めていますが、イルカやクジラの殺戮だけを残酷だと煽り立てる人達の主張に偏りを感じずには居れません。食べるための殺生が正当化されるのは生命維持の原則でしょうから、その論理を単純に当てはめれば微生物であれ、大型哺乳類であれ、命を頂いていけない道理はありますまい。

特段捕鯨を推奨する気はありませんし、反捕鯨を高らかに掲げる気もありません。前述の通り、鯨を食べなくても生きていけますので全世界が鯨食を嫌悪するのであればそれも否定いたしません。そんな訳で今日はこれから『ビハインド・ザ・コーヴ』という映画をまっさらな気持ちで鑑賞しようと思っています。

感想はまた後ほど。

posted by かまなりや at 19:13| 哲・考・生