
を見せてもらいました。京焼きの尾形
乾山の後継者で、七世乾山を名乗った
とされる浦野乾哉作らしき向付です。
素地は陶胎の白土で、化粧は施していないように見えます。
貫入が美しく、細かな釉ヒビには鉄か何かの渋を染み込ませ
て景色としています。大柄な色絵は久谷っぽい五彩、椿の絵
の配置は琳派の流れをくむ乾山を彷彿とさせる斬新な巧妙さ。
口に輪花風の変化をつけている所謂 『のぞきむこう』 は、茶
懐石のお道具でしょう。裏には落款が赤絵でドカンとついて
います。
真贋のほどは全くわかりませんが、興味深いのは七世乾山は
東京の入谷、今戸で窯を焚いていたという史実。何と東京焼き
なのです!今戸焼は今でも継承されている方がいらっしゃると
聞きますが、乾山一派もお江戸で焼いていたなんて痛快です。
江戸は諸国の吹き溜まりなんてぇことを言いますが、京の陶人
たちも江戸の活気に惹かれて下ったのかと思えば、中々どうし
て捨てたもんじゃぁありません。東京は震災と空襲でほとんどの
物が壊れてしまいました。今戸焼や隅田川焼きも出るのは地方
の蔵ばかり、それでも 『まる〆猫』 を復刻している人がいら
したりと、小さな火は続いています。
半かな東京生まれではありますが、こういうエピソードに触れ
ると生地への慕情がちいとだけ胸に湧いてきます。