2013年02月02日

 いたみ


 色々なところで体罰の問題が浮上しているようです。
 無理押しに痛みや挫折感を強いるような指導方法論は
 肯定できません。しかし乍ら人格形成の途上で、前向き
 に取り組んでの敗北や挫折は糧秣だと信じています。

私達の世代は叩かれて大きくなった世代ですので、先生や部活の顧問に張り
倒されるなんてのは日常でした。今思えば理不尽なことも多くありましたし、叩か
れることは嫌でしたが、叩かれるだけの理由は自分の側にありましたし、親も
そういう先生が良い教師だと評価していた節すらありました。

長じて成人後も、陶器の仕事が軌道に乗るまでは建築関係のアルバイトばかりし
ており、親方に怒鳴られて仕事を覚え、時には蹴飛ばされながら働いてきました。
建築の現場は危険が一杯で、気を抜けば怪我をします。そんな中で気を張り詰め
て仕事をする人たちの真剣さが荒っぽい怒鳴り声や、時にはヘルメットの上から
手道具で引っ叩くような行為となって安全作業の一助になっていたともいえます。

叩かれた教師や親方は今でも好きではありません。でも、恨みもありません。
生まれた時代と巡り合わせた指導者を不運と思うくらいです。世の中は割り切れ
ぬことばかり、嫌なことがあってもいちいち参っていては命が幾つあっても間に
合いますまい。強くなるのは容易ではありませんが、嫌な奴ともそれなりに付き
合う術を身に付けなければ世の中渡っちゃぁいけません。謂れの無い暴力なら
断固として反対ですが、親方や師と仰ぐ人からの愛ある試練ならば少々の痛み
や苦労は進んで受けたいと思います。例えれば座禅修業の警策でしょうか。

人間はお莫迦で愚かですが、何々そう捨てたモンでもないです。こんな世知
辛い世の中でも、素敵な人との出会いや楽しいことはきっとあるものです。

お若い方々には、軽々に自裁などして欲しくないものです。

posted by かまなりや at 17:13| 哲・考・生