2017年11月04日

 ねづく




水辺に立つ柳の木を見ていると、とても心が静まります。古くから柳の下には幽霊や夜鷹の姉さんなどが立っているという、悪めの印象がある木ですが個人的にはこの枝垂れた柳が殊の外好きです。

画像は都立善福寺公園のシダレヤナギ、とても良い場所に生えています。シダレヤナギは湿地を好むので、池之端にあるこの木はとても恵まれた環境に根付いた(植林された?)と思います。木は、風や動物に種子を運んでもらう以外中々自ら定着する場所を選べません。然しながら芽を出し、根を張ったその場所がいかなる環境であろうと黙って粛々と生きる姿に心動かされます。日当たりもよく、この公園が何がしかの理由で壊されない限り伐採される心配は薄く、安心してこの場所で生きることができるでしょう。

人間も、気が付けば生まれていて、出生地も親も選ぶことができないのは植物と似ているとも思いますが、人は成長と共に学び、親から離れ、自分の生き方を選択する余地はありますので、植物と比べれば自由な方でしょう。然しながら、一所に落ち着かずフラフラしていては仕事も侭なりますまい。(例えば葛飾北斎のようにそれでも上手くゆく人も居るには居ますが・・・)

人もある意味、強い根をはやして生きていかなければいかんのでしょうなぁ。 (11月5日記)

posted by かまなりや at 00:00| 哲・考・生

2017年09月03日

 nanode




すっかり市民権を得て聞きなれた感のある文頭に使う、『なので』 ですが、相変わらず私にとっては耳障りです。然しながらその伝染力は強力で、ラジオ・ニュースで聞かない日はありません。民放各社のキャスターを始め解説者、果てはNHKのアナウンサーや、こども科学電話相談の先生方まで日常的に使う始末で、聞きづらいこと夥しく気障りでなりません。相手にやわらかく伝えるのに重宝な接続詞ですが、文頭に使うのは誤用にほかならず多用する方を見受けるにつけ、その方の知性に疑問を感じずには居れません。

言葉は変わるものですから、この使い方も使いようだとは思いますが、放送では控えて欲しいものです。いっそ文末に使って含みを残して終えるという気味の悪い使い方を試してみましょうかなので。

以上。

posted by かまなりや at 18:04| 哲・考・生

2016年09月05日

 donna donna




牛の唄 『ドナドナ』 の原曲は、ドンナドンナという牛追いの掛け声からきているそうです。先日蓼科高原長門牧場で、しげしげと牛を見て条件反射的に頭の中を駆け巡ったドナドナの歌詞。荷馬車に揺られて市場へ行く牛を客観して悲哀を感じたであろう作者の優しさが滲む歌ですが、飼い主さんにしてみれば牛が売れてお金が入って万々歳のはずです。小牛を買った側も、転売するか大きく育てて高く売るか、はたまた種にして増やすか、飼畜として活用するなど、あながち悲観することもないわけですから、明るい要素の多い場面でもあろうと思います。

しかし、それでは詩的な文芸は成り立ちますまい。穿った見方をせず、牛乳や牛肉を美味しくいただきましょう。 合掌。

posted by かまなりや at 00:00| 哲・考・生

2016年03月11日

 忘じ難く候


市川のとある商業施設の映画館で見た巨大ポップコーンの宣伝が面白く、ついつい写真を撮りました。うすらでかい飼葉桶のようなカップに、ポップコーン山盛りの立て看板が痛快です。



ごく、個人的且つ主観的なことですが、5年前の地震災害のことを忘れたいと願う自分が、心の中に厳然と居ます。恥ずかしいことですが、これが心理学でいう 『適応機制』 の一種である逃避行動ならば自分の弱さの証明に他なりませんが、あるものはあるのですから致し方ありますまい。そのことは肯定します、が、原子力発電所の事故のことはどうにも心が消化できません。これだけは、忘れようとする自分を叱咤し、いつまでも心にわだかまらせて付き合いたいと心に決めています。忘れた時点で人間失格と戒め、故郷を失った人たちの心を理解するための努力を惜しみますまい。

忘れないこと。 簡単なようで、随分と難しいことです。

posted by かまなりや at 22:10| 哲・考・生

2015年12月12日

 せ り




根っこ付きの 『セリ』 を使ったあとの根を水に差しておくとまたセリが伸びてきます。きれいなのと、また食べられるので楽しみに育てています。と、書くと、私が育てているように聞こえますが水栽培の主は女将りえ子、ずいぶん伸びたからそろそろ食べないと、などと云っています。

昨日は大風が吹き荒れて、きれいに色付いた銀杏の木もすっかり葉が落ちました。風もないのにはらはらと落ちる様子が好ましいのではありますが、荒々しい自然もまた受け入れざるを得ません。

人間の存在だって自然のはずなのに、はびこりすぎて、地球に負担をかけているみたいです。

それが自然と捉えるなら、人間は地球を変えるために存在するものなのでしょうか?

posted by かまなりや at 08:23| 哲・考・生

2015年10月13日

 かまあたま




先日のイナダのカマを塩焼きにしました。大きなブリなら鎌だけでも塩焼きとして充分な酒肴の一品になりますが、いかんせん小さなイナダでは頭と一緒でないとまとまりません。でも、小さいながらもさすがは鰤の若魚、味は良く美味しくいただきました。

魚の頭を食べる時、この個体も運悪く釣り上げられて人間に切り刻まれて焼かれて食われてしまうのは不憫なことだなぁと思います。顔を見るからそういう感傷に浸るのでしょうが、うまく逃げおおせて成魚になって子孫を残せていれば生き物としての天寿も全うできただろうに、さぞ無念ではなかろうかと要らぬ心配が湧きます。

とりあえず捕食される心配のない人類はその点については安心ですが、もし食われるのなら隅々まできれいに食べてもらいたいものです。

50年もので、碌に脂肪もついていないオスの肉なんて美味くはないでしょうねぇ・・・

posted by かまなりや at 17:51| 哲・考・生

2015年09月18日

 あきにいる




裏庭の銀杏の木の下にギンナンの実が一つぽっとりと落ちていました。まだ熟し切っていない実ですが、きっと昨日今日の雨で落ちたのでしょう。お彼岸も近づき空気も涼やかになって、いよいよ季節が移る実感がわいてきます。

長袖を探す箪笥や秋に入る

posted by かまなりや at 18:00| 哲・考・生

2015年05月31日

 たばこ


 5月31日は世界禁煙デーなのだそうです。
 そして1週間、禁煙週間なのだそうです。
 喫煙の習慣を捨てて20年が経ちます、もう
 吸う気もないですし、吸えないと思います。

ガキの時分に悪戯でタバコを吸って習慣付き、20歳になった
ころには立派な依存者になっていました。32歳で急性喉頭炎
になってタバコを止めるまで、とてもマナーの悪い喫煙者でし
た。パッタリやめましたが、今度は更にマナーの悪い嫌煙家
となり、自分のことを棚に上げて喫煙者に物申したものです。

今もタバコのニオイは嫌いですが、昔ほど喫煙者が面憎く思
えません。感覚が鈍ったというよりはどうでもよくなったのでは
と思います。吸いたい人は吸えばいい、排煙だけを垂れ流さな
ければいっそお国のためにどしどし高額納税をしてほしいと
さえ思っちゃいます。ただ、お若い方々特に女性の皆様には、
喫煙の習慣は捨ててほしいです。少子化でこの先の国を支える
若手が万病の元を嗜好していては国の存亡にかかわる一大事。

昭和を支えた世代のご隠居にはどうぞ好きなだけ吸っていただ
いて、お若い皆様には大事な体をつまらぬ依存物質で蝕まぬよ
う、ご自愛を願いたいものです。

posted by かまなりや at 00:00| 哲・考・生

2015年04月23日

 みやうが


 神仏の加護を 『冥加』 と云いますが、
 薬味の茗荷と音が同じなのは偶然で
 しょうか。薬効あらたかな植物だけに、
 何がしかの因果を感じます。

さのみ神仏を頼みにしない無信心者でも、ミョウガの味は
好物で夏の薬味を味わうにつけ、ついつい冥加だ果報だと
毎年時季には喜んでいます。

昨年は秋ミョウガも咲きました。今年はどうでしょうか?

夏がひたひたと近づいてきていますねぇ。

posted by かまなりや at 00:00| 哲・考・生

2015年04月17日

 きのめ


 日に日に新葉が吹いて、所謂新緑の
 気持ちの良い季節になりました。庭
 の花山椒にも花が咲いて、木の芽の
 薄緑が目に清々しい限りです。

俗に言う木の芽時は何だか気持ちがソワソワします。冬の
間眠っていた命が一斉に動き出すのが、目にもわかる時季
だから、生き物の人間もそれに呼応して心がザワザワする
のでしょうか?

木の家に住み、土に触れて暮していられることをしみじみ
喜ばしく思います。

今朝はやっぱり筍のお味噌汁でした!

posted by かまなりや at 17:03| 哲・考・生

2015年02月05日

 偶 偶


 JAと懇意にしている友人に貰った
 『日本農業新聞』 のバックナンバーを
 読んでいます。一般的な時事問題は
 少なく、専門的で興味深いです。

宮崎産のブランド金柑に高値がついているのだとか、その
名も 『たまたま』 物が金柑だけに男子としては下腹に力
が入るネーミングです。字をあてるなら 『玉玉』 でしょう。
でも、パソコンでたまたまを返還すると偶偶の字が出てき
ます。たまさかという意味のたまたまとして認識されるの
でしょうね。

たまたまこの世に生を受けて、生きるためには残酷にも他の
生き物の命を獲り続けなければいけないのに、食べることは
殊の外美味しくて楽しくて、不条理だと思いながらも幸せは
三度三度の大殺戮の上に成り立ち、ああもうこんな因果な身
は捨てようと飲食を断って成仏しようと決意しても腹は減っ
て、またおいしい命をいただく繰り返し。

まったく命とはなんなのだろうと考えても考えても答えはあり
ません。然しながらせっかくいただいた命ですから徒や粗末
にすることなく、寿命まで食べることにしましょう。

生きるための殺生は正当化されると信じましょう。

posted by かまなりや at 16:55| 哲・考・生

2015年01月30日

 まっしろ


 相模の国横浜新井町も明け方から雪
 になり、明るくなるころには一面真っ白
 になりました。犬小屋転用の猫小屋の
 大屋根にもいくらか積もりました。

さて、相撲の世界では力士が審判部に物言いをつけるという
前代未聞の発言をしたというニュースで持ち切りです。あり得
ないことがあり得てしまうからには道理が引っ込んで、以前の
朝青龍のように白鵬関も墓穴を掘るのでしょうか?

大記録を打ち立てた途端の驕った発言に人間のメッキが剥が
れてしまったのは残念です。相撲技術で頂点に立ったものの、
心の地金は腐っていたのでしょうか、はたまた強者の孤独から
被害妄想して魔が指してしまったのでしょうか。

白鵬関にはきちんと公の場で協会や関係筋に詫びて、真っ白
な初心に帰って大鵬関の記録と、白鵬のしこ名を汚さぬように
してほしいものです。それができないようなら潔く引退するの
が横綱というものでしょう。

さあ横綱、心の相撲の土俵際、どうとりますか。

posted by かまなりや at 17:15| 哲・考・生

2015年01月08日

 われふじ


 洗面所で歯磨きをしていて、うっかり
 ガラスのコップを落としてしまいました。
 コップは割れてしまい、やれやれ勿体
 ないわ危ないわで往生しました。

さて紙にでもくるんで危なくないように捨てるべいと割れた個所
を繁々眺めたら、何やら富士のお山のようです。こりゃあ正月
らしくっていいやと、割れた口を接写してみました。

ただの偶然ではありますが、正月早々くよくよしても始まります
まい。こいつぁ春から縁起がいいわいな、とポジティーブに見得
を切って、同じ失敗をしないように前向きに生きましょう。

寒中お見舞い申し上げます。

posted by かまなりや at 17:44| 哲・考・生

2014年11月27日

 しゅっしん


 出身地には明確な定義がないそうです。
 国交省によると、「15歳くらいまでの間
 で、もっとも長く過ごした地域」とされて
 います。

出生地なら生まれた場所ですから定義は簡単ですが、出身
地となると転勤族の親御さんをお持ちの方は複雑でしょう。私
は生まれは東京、育ちは神奈川、長じてからも茨城や栃木
また岩手からもたくさんの影響を受けています。

東京女子大のゼミの方々が出身地を鑑定する方言チャート
完成させたというのでやってみました。30項目ほどの方言の
質問に、はい、いいえで答えるだけの簡単鑑定ですがとても
面白かったです。では、その鑑定結果は 『神奈川県』 東京
出身とはいえ、もうすっかり神奈川人になったようです。

でも、どれか一つに絞る必要はないようにも思いますが、まあ、
人に故郷を尋ねられたら 『関東モンでござんす』 とでも答え
ましょう。

posted by かまなりや at 17:07| 哲・考・生

2014年07月26日

 あ り


 蟻が活発に動いていました。クロアリ
 の集団移動は中々見応えがあります。
 忙しく動くさまはちょっとキビがわるい
 ですが、見物ではあります。

蜂もそうですが、蟻は個と全の区別がつきません。一つ一つ
が何かの秩序を持って全体として動いているように見えます。

こういう視野で人間活動を観たら、どう見えるのでしょうねぇ。

動画 (ゾワゾワが苦手な方は、見ない方がよろしいかと。)

posted by かまなりや at 17:10| 哲・考・生

2014年07月11日

 快 晴


 久しぶりにカラリと晴れた空を見て、
 梅雨気分も晴れました。時々、人間
 に生まれたことを恨めしく思います。
 大きな脳という荷が重く感じます。

複雑な精神を持ち合わせず、ただただ生きることだけに
純粋な生き物ならばもっとロジカルに楽〜に生きられたの
ではと思うのは、でもしかし、精神というものが求めるもの
ですから、それ以上にもそれ以下にもなれないとわかって
いながら、青い空を見ながら煩悶しています。

前世、来世などというものは一切信じず、現世利益主義
でありますので、生まれ変わろうなどとは毛ほども思わず、
もがく人生を死ぬまで続けます。

でもちょっと、菌類や藻類に憧れます。

posted by かまなりや at 17:57| 哲・考・生

2014年05月22日

 クランク


 昨日の朝まで降った大粒の雨で、畑
 の春菊がべったりと倒れてしまいまし
 た。もうすっかり薹立ちして、お花畑に
 なっていたものです。

もう食べるわけではないし、花がきれいだから抜かずに眺め
ていたものですから惜しくもないのですが、こうも寝ると少々
不憫に思います。が、今日のお天気で寝た花は鎌首を持ち
上げるように上を向き、茎は鍵の手状に曲がっていました。

どんな状況でも生きようとする植物の強さを見るにつけ、その
強さに心が動きます。いっそ抜いて片づけてしまえばいいの
でしょうけれど、もう少し眺めてその気概から学びましょう。

『元気をもらいました』 という表現は、苦手です。

posted by かまなりや at 17:16| 哲・考・生

2014年05月20日

 発 芽


 16日に蒔いたコマツナの種が芽を
 出しました。猫ニモマケズ、糞ニモ
 マケズ、三年トイウ年月ニモマケヌ
 植物の種は凄いなと思います。

芥子粒ほどの小さな種の中に、遺伝情報も細胞もみなすべ
て閉じ込めて種を保存する生き物の知恵は何と表現したら
よいのでしょう。この小さな芽が太陽光を使って光合成を
し、根がケイ酸化合物を取り込んで茎や葉を強くする仕組み
は、不思議の上にも不思議です。

大きくなったら炒め物や、味噌汁にしていただきます。

済まないけれど、すくすくと大きくなってお呉れ。

posted by かまなりや at 19:02| 哲・考・生

2014年05月07日

 おにぎり


 握り飯というものは実に美味いもの
 です。私のお握りはまん丸型、三角
 も俵も握れますがやはり地球の恵み
 は、星のように丸くあるべきです。

そして、どんな形でもしっかりと握ったものが好きです。
食べている間にポロポロするのは嫌です。なるだけ、表面
はしっかり中はふんわりするように心がけます。お寿司の
ように中に少し空気を残すのがコツでしょうか。

海苔は直巻き、隙間なくびっしりと埋め尽くし、ご飯の水分
で海苔がしんなりしたらいただきます。中身は無くても構わ
ず、塩をきちんと効かせ米と海苔の味を噛みしめます。大き
なものを握るなら、梅干し、こぶ、鮭などの具を勘案します
が一等はやはり 『おかか』 これに勝る物は在りません。

真っ黒いまん丸なお握りをみていると、これが地球なら我々
はこの海苔くらいの存在なのだろうなあと思います。地球の
中はほとんどがマントルという鉄とニッケルの塊であるとか。

地球の生物は美しいですが、ずいぶん薄っぺらいところに
貼りつくように生きているのですなぁ。

つくづく、地殻活動の安定を願うばかりです。

posted by かまなりや at 16:58| 哲・考・生

2014年04月24日

 幸運数


 朝9時からのFM横浜のラジオ番組を
 聴いていると、しきりに星占いをやって
 いて 『あなたのラッキーナンバーは9
 です』 などと言っています。

毎度毎度、何で一ケタの数字しかないのか疑問に思います。
たった9通りの数字で何億の人間の運勢などが決まるなんて
信じる前にバカバカしくて呆れます。せめて暗証番号ほどに
4~6ケタあれば信頼もできるというもの、『今日のあなたのラッ
キーナンバーは929512です』 なんて分厚い数字を提示して
くれれば、なるほどと得心がいきます。

ラッキーカラーにしてもおよそ12色入りのクレヨンほどの色し
かなく、不満です。せめて、日本の伝統色456色ほどもあれば
納得がいきます。『あなたのラッキーカラーは、鶸萌黄(ひわ
もえぎ)色
でーす。』 なんてラジオで言ってくれれば、ほほう
この局は信頼できるわいと、一目置けましょう。

万事、万民に受けるためには単純がよろしいようですが、無責
任に単純化されたメディアに毒されておバカにならないように
気を付けたいものです。

posted by かまなりや at 17:01| 哲・考・生