2013年11月01日

 はやがわり


 遅まき夏休み初日、朝から気分良く 『シラス
 卸し』 で朝飯をいただき、軽自動車を車検整
 備に出しに都筑区のホリケンさんに預け、近く
 の大型商業施設に赴いて愕然としました!

そうです、もうお店はクリスマスの飾りつけなのです・・・ 毎年の
ことなのに、迂闊にも忘れていました。毎年思いますが、何て気障り
な早替りでつつしみが無いんでしょう。ハロインなんてぇ南蛮のお盆を
煽り、その余韻もつかの間一夜にして今度は西欧の聖夜祭をふた月
も前から喧伝するなど、経済効果に目の眩んだ暗愚な所業としか思え
ません。せめてひと月、いや半月、大負けに負けて一週間でも、間を
空けられないものでしょうか。増してお祭の芯の部分はそっちのけ。

さてさて困ったものですが、月の変わった一日っからぼやいてばかり
では後生が良くありますまい。今日は一日のんびりと休みました、明日
も心はお休みですが古民家スタジオ常設アトリエゑんさんのご依頼で
布に書を認めに出張ります。首尾良く書き終えたら、鎌倉をお散歩し
てきましょう、ずいぶん季節が進んだことでしょうし、何か美味いもの
でも見付けたら買ってきて晩酌のアテにしましょう。

どうぞ鎌倉がクリスマスになっていませんように。 あーめん。

posted by かまなりや at 15:56| 哲・考・生

2013年10月17日

 十三夜


 旧暦9月13日のお月様が東の空に顔を出し
 ました。横浜は雲が多めで月も薄っすらとしか
 拝めません。満月少し前で完全に丸くない月が
 早めに顔を出す風情は実に侘びた趣です。

『月も雲間の無きは嫌にて候』 侘び茶の創始者村田珠光の言葉で
あると伝承されています。すっきりと晴れた雲ひとつ無い空の月も良い
ですが、雲間に見え隠れする月もまたよいものです。

日本人の美意識の奥深さは、こういった柔軟性にあるのでしょう。

大事にしたい感性です。

posted by かまなりや at 17:29| 哲・考・生

2013年08月15日

 へいせい


 平成の元号には内外の恒久的な平和の希望が
 込められています。出典は中国の古典だそうで
 すが、正しい気持ちがこもっているようです。25
 年間概ね願いは叶い続けているように思います。

元号制度は古臭くなって、現代人には馴染みにくいものになったように
思います。いっそもう西暦に統一でよろしかろうとも思いますが、時代
の雰囲気を語るときには便利です。明治の頑固親父、大正のハイカラ
さん、昭和の若者たち、そして平成は・・・きっとこれは平成が終った時
に過去形で語られるのでしょうね。

平和の時代が長く続きますように。

posted by かまなりや at 18:11| 哲・考・生

2013年08月02日

 けんかう


 昨年度、忙しさに紛れ健康診断に行きそびれて
 しまい今年は同じ轍を踏むまじと先日受けてきま
 した。今日その結果を聞いてきましたが、数値は
 頗る良好でした。 ホッとしました。

今回から大腸鮮血検査も受けましたが、結果は陰性で数値も問題なし。
簡易的な検査ですから隠れた病巣までは解りませんが、まずはOKで
しょう。有り難いことに元より体は頑丈で病知らず、少々の脳の虚弱
(理数)を除けば丈夫な体に生んでくれた親に感謝するばかりです。

生きることが死へ向かう道程である理不尽を考えるとやりきれないこと
ばかりで、生きる意味を探すのが哲学ですが結局、答えなど見つかり
はしないのが正解で、天竺を探す旅に他ならないでしょう。 しかし・・・
難解な問題も考え続けることに意義はあるのですから、寿命が尽きる
まで考えることは止めないようにしましょう。諦めてしまったら、それこ
そ早く投げた将棋と一緒で虚しいだけです。

詰まらない人生だけは、いくら健康でも願い下げです。

posted by かまなりや at 18:17| 哲・考・生

2013年07月27日

 ぎざじゅう


 買い物のお釣りでたまさかギザギザのある十円
 玉を貰うことがあります。随分と見かけなくなった
 所謂 『ギザ十』 ですが、見付けると嬉しくて集め
 ています。5枚ほど持っています。

最初に発行されたのが昭和26年、昭和33年まで7年間製造されていま
す。が、発行枚数が多く価値は無いとか。画像の硬貨は昭和28年のも
の、60年前に製造された硬貨です。この年は吉田首相がバカヤロー解
散をし、テレビ放送が始まった年です。以来60年間風雪に耐えたこの
硬貨はそれなりの磨り減り方をしており、働いた美しさがあります。

中国の暦では十干十二支の60通りが一巡りすると還暦といって祝い
ます。古くさい、他国の暦ではありますが60年という年月は吝かでな
いことは自明のこと。敬意を表して取っておきましょう。

私は10年後に60になりますが、いったいどのようになっているので
しょうか? 楽しみでもあり、不安でもある己の姿です。

posted by かまなりや at 17:14| 哲・考・生

2013年07月16日

 ふうりん


 今日は一日涼しくなって、随分過ごし易い日で
 した。とは言え、先週の暑さが尋常とはいえず
 今頃の時期ならこれくらいだろうというところ。
 風が吹いて、釣り忍の江戸風鈴が良く鳴ります。

江戸風鈴は秋の虫の声を模して涼やかさを演出する意図があり、硝子
の切り口がヤスリで細かく荒らしてあります。チーンチーンとサスティ
ナブルに鳴るのではなく、ちりりちりりと断続的に音色を響かせます。

風流で良いものですが、集合住宅などでは忌避される向きもあるようで
万事世知辛くなったものだと、一抹の寂しさも感じずには居れません。
私も、南部鉄器や江戸風でない風鈴の長く響く音は耳障りだなと感じま
す。やはり風鈴はちりりと切れ切れに音がするのが風流です。

長屋の暮しが団地、マンションなどに変わっても隣近所のお付き合いは
芯の部分では変わらずにあってほしいものですが、時代が変われば古い
ものや考えは通用しなくなるものでしょう。物が足りて、心が貧しくなるの
は世の常と諦めるのも癪ですので、自分の中の尺度は古き良きものを
捨てきらずに、中庸しながら生きる指針としてみましょう。

posted by かまなりや at 16:28| 哲・考・生

2013年06月27日

 ヒトの末路


 久しぶりに晴れた夕暮れの空に鰯雲が湧いて、その
 雲の下を飛行機が西に向かって飛んでゆきました。
 あの航空機にもヒトが乗って操縦しているのかと
 思うと見慣れた景色も、いとおかしく思えます。

科学技術が進化し、ヒトは空を飛ぶことができるようになりました。
これからもっと驚くべきことができるようになるのでしょう、未来前途は
洋々に見えます。裏腹にヒトはできなくなってしまうことが多いようにも
思います。炊飯器が普及してヒトはご飯が炊けなくなりました。携帯電話
が普及してヒトは電話番号を覚えなくなりました。自動車が普及してヒト
は長く歩くことが苦手になりました・・・

もっともっとヒトはできなくなることが増えてゆくのでしょう。
そのくせ寿命だけは延びて、無為な生涯に煩悶するのでしょうか・・・

ヒトはどのようになることを望んでいるのでしょうか?

科学の進歩は肯定しますが、ヒトらしさを哲学し、面倒でも
土に足を付けた人間味のある暮らしを目指そうと思います。

posted by かまなりや at 19:08| 哲・考・生

2013年05月10日

 よろいかぶと


 信州行でちょっとだけ観光をしてきました。松代の
 真田屋敷です、宝物館だけささっと見学してきました。
 中でもこのトンボの前立ての甲冑が格好よかったです。
 戦国時代のこういった美意識は何とも不可思議です。

殺し合いの装束に色々に個性を出すのはやはり、戦争の形態が 『合戦』
というある種の作法に則っているからなのでしょうか。兵器の未熟な時代
の武士の身嗜みを見るようで、凛々しさを感じました。これに比べると最近
の兵隊さんは野暮ったい格好をしていますねぇ。

仕方ないことですけどねぇ。

posted by かまなりや at 17:23| 哲・考・生

2013年04月17日

 怒 哀


 米国の爆発事件に心が痛んでおります。世界中
 の市民ランナーが憧れる競技のゴール地点に爆発
 物を仕掛けるなど悪鬼の所業。増して父親を応援
 に来た子供が亡くなるなんて、むごすぎます。

人間は救いようの無い生き物です、もういっそ滅んでしまえば良い。
大魔神が居るのなら、どうぞこの愚かな生き物たちに鉄槌を願います。
あまんじて滅びを受け入れます。

そんな都合の良い神様がいれば苦労はありません・・・心の痛みを抱え
て、泣きながら生きていきましょう。 悪いことばかりでもありますまい。

ボストンマラソンで亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

posted by かまなりや at 18:07| 哲・考・生

2013年04月09日

 じゃ!


 何やら朝の連続テレビ小説で、岩手の久慈が舞台に
 なっているそうで、 『じぇ』 が受けているとか。女房の
 郷里釜石や北上などの内陸部では 『じゃ』 と発音する
 ので、同じ県内でも違うものなのだなあと感心しています。

じゃ!は概ね驚いたときに発する語で、失敗した時などには 『じゃじゃじゃ』
と連呼されます。関東では 『あ』 『や』 にあたるでしょうか。横浜方言では
語尾に 『じゃん』 をつけることが多いですが、これも 『じゃぁ』 に訛る
ことがあります。用途は違いますが、なんだか身近に感じますねぇ。

お国言葉はとても素敵です、残して伝えて使っていきたいものです。

画像は我が家の定番焼き肉 『ジンギスカン』 遠野のお肉を取り寄せています。
四角いジンギスカン鍋が変わってるでしょ?牛や豚もいいですが羊は美味いで
すよお、それも子羊のラムがね。むごいことですが、余さずいただきました。

posted by かまなりや at 17:57| 哲・考・生

2013年03月27日

 25


 アメリカ旅行に行った倅に土産代わりに米国の硬貨を
 貰いました。25¢玉、所謂クウォーターです。1965年
 の物ですから、まだ1ドルが360円だった頃の造幣です。
 随分使い込まれて良い感じの骨董になっています。

対ドル為替が固定相場だった頃に教育を受けた世代は、『いちどるさんびゃく
ろくじゅうえん』 とお念仏のように社会科で覚えさせられた記憶があります。
円安が進んだ今では100円を切り、当時90円ほどの価値があったこの25¢も
同じ数字の25円弱、為替というものの不思議を感じます。改めて25円かと思っ
て見るとこの銀貨も少々軽く感じます。

1963年生まれの私と同じくらいの年数を使い込まれ、人から人の手を渡り
歩き、きっと米国中を旅したであろうこの硬貨が奇しくも日本から出る気の
無い私の手元にあるのはこれまた不思議です。縁あって手元にあるコイン
ではありますが、このままここで錆付くのは不憫ですから、外国へ行く方で
もあればお餞別に差し上げましょうか。

でも、25セントじゃあチップにもなりませんなぁ。

posted by かまなりや at 17:05| 哲・考・生

2013年03月25日

 慶 事


 今朝起きたらば膝が痛むので女将に 『何だか膝っ
 小僧がヒリヒリするんだよ』 と愁訴すると 『あんた
 昨日酔っ払って転んだでしょ!覚えてないの?』 と
 叱られました。 じぇんじぇん覚えていません・・・

昨日は、子供たちの進学や就職を祝って夕刻から一席ぶちました。お祝い
事のお酒は殊の外美味しく、子らの成長に嬉しさの拍車がかかりついつい
鯨飲した模様、いつもなら寝てしまうところを更に杯を重ねたものか後半の
記憶は雲散してしまったようです。

幸い大きな怪我ではなく、女房に呆れられる程度で済みましたがこれで頭
や顔でも打っていれば笑いごとでは済みますまい。子供たちが大きくなった
だけ親は馬齢を重ね、気が付けば老いの坂にさしかかっているのでしょう。

しかし、まだまだ老け込んでいられません。若い者には若い者の、中年には
中年の生き様、矜持があるのです。 意気地を見せて頑張りましょう。

コケないようにはしなくちゃね。

〈 画像はプライバシーを鑑みて微拡大 〉

posted by かまなりや at 16:52| 哲・考・生

2013年02月02日

 いたみ


 色々なところで体罰の問題が浮上しているようです。
 無理押しに痛みや挫折感を強いるような指導方法論は
 肯定できません。しかし乍ら人格形成の途上で、前向き
 に取り組んでの敗北や挫折は糧秣だと信じています。

私達の世代は叩かれて大きくなった世代ですので、先生や部活の顧問に張り
倒されるなんてのは日常でした。今思えば理不尽なことも多くありましたし、叩か
れることは嫌でしたが、叩かれるだけの理由は自分の側にありましたし、親も
そういう先生が良い教師だと評価していた節すらありました。

長じて成人後も、陶器の仕事が軌道に乗るまでは建築関係のアルバイトばかりし
ており、親方に怒鳴られて仕事を覚え、時には蹴飛ばされながら働いてきました。
建築の現場は危険が一杯で、気を抜けば怪我をします。そんな中で気を張り詰め
て仕事をする人たちの真剣さが荒っぽい怒鳴り声や、時にはヘルメットの上から
手道具で引っ叩くような行為となって安全作業の一助になっていたともいえます。

叩かれた教師や親方は今でも好きではありません。でも、恨みもありません。
生まれた時代と巡り合わせた指導者を不運と思うくらいです。世の中は割り切れ
ぬことばかり、嫌なことがあってもいちいち参っていては命が幾つあっても間に
合いますまい。強くなるのは容易ではありませんが、嫌な奴ともそれなりに付き
合う術を身に付けなければ世の中渡っちゃぁいけません。謂れの無い暴力なら
断固として反対ですが、親方や師と仰ぐ人からの愛ある試練ならば少々の痛み
や苦労は進んで受けたいと思います。例えれば座禅修業の警策でしょうか。

人間はお莫迦で愚かですが、何々そう捨てたモンでもないです。こんな世知
辛い世の中でも、素敵な人との出会いや楽しいことはきっとあるものです。

お若い方々には、軽々に自裁などして欲しくないものです。

posted by かまなりや at 17:13| 哲・考・生

2013年01月30日

 天 寿


 もう10年もウチに住み着いている猫です。そろそろ老猫
 の域に達する固体ですが、良く食べ肥えて毛艶も良好、
 まだまだ生きそうです。猫の長寿記録は35歳だそうで
 すから、案外長生きな種族なのでしょう。

町内の100歳のおばあさんが先日急逝されました。臨終の数日前まで自分
の足で立って歩いていたのに、急に衰えて食事がとれなくなり数日寝付いた
だけで、花が終るように静かに息をひきとられたようです。家族に看取られて
のみごとな最後であったとか、正に天寿を全うされたのでしょう。 命の引き
際は斯くありたいものです。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

今年50歳の私は、おばあさんの半分しか生きていません。天寿天命が何歳
かは知る由もありませんが、生きている間は食事として他の生き物の命をとり
続けなければなりません。因果なことですが、生きることの本質が食事殺戮
なのですから、仕方ありますまい。生前、おばあさんは一生に食べるだけの
命をとったら寿命が来るのだと仰っていられたそうです。

おばあさんは、その一生の食事に100年・・・ 吝かではない時間です。

posted by かまなりや at 16:59| 哲・考・生

2013年01月13日

 ちょうば


嫂の御袋様が急逝され、急遽葬儀となりました。急なことだし遠方なので無理
に参列してくれなくとも良いと兄は言ってくれましたが、きちんとお別れがした
かったので是非にとお願いをして、富士吉田まで通夜に行ってきました。

 義理に厚く、人望もあり、親類も大勢いらして通夜式は
 かなり大掛かりな様子でした。一説に山梨の葬式は香典
 をすぐ開けるとは聞いていましたが、まさしくその通りで
 受付けのおじさんは手際良く現金を確認していました。

その際おじさんは 『袋はいらないんだょ・・・』 と一人ごちていました。やあやあ、
サバケた受付けもあるもんだと驚いていたら何と両替のコーナーまであり、むら
むらと調査欲求が湧きました。調べてみると、これは 『帳場』 というそうで、
一般的な 『受付け』 とは性格の異なるものらしく、親族ではない組内の人達が
担当するそうです。無駄を省き、正確に香典を捌く風習で場合によってはお釣り
や領収証もいただけるそうです。  詳しくはこちらの記事をご参照下さい。

ご無沙汰続きのうちに他界されたお袋様は、年齢こそ平均寿命に届いていました
が晩年は認知症を患われ、施設でのお寂しい臨終であったそうです。昨日はきちん
とお別れをさせていただき、今日の告別式こそ失礼させていただいたものの、民俗
学的社会学習にもなり、意義深い葬儀参列でした。

今朝早くに彼の地を後にしましたが、冬の富士山はそれはそれは綺麗でした。

posted by かまなりや at 17:04| 哲・考・生

2012年12月24日

 ジャパクリ


毎年毎年ぼやいていますが、やはり今年もこの時季は黙っていられません。
ジャパニーズクリスマスです。クリスチャン人口は明治維新以降1%を越えた
ことのないこの国で斯くも賑々しく聖夜を祝うのは何故でしょうか? 勿論、
敬虔な宗教行事として浸透したのではなく、大正天皇の誕生日と絡めて普及
したという経緯が年末の祭事に変容してきた歴史は承知のうえですが、いつし
か24日のイブだけに特化され、恋人と過ごすラブリーな夜の代名詞になって
しまったのはもう、恥を知る民族として穴があれば隠れてしまいたい程です。

 ラジオで頻繁にかかる 『きっと君は来ない♪』 の歌が
 気障りで仕様がなく、日本中の宿泊施設が短期滞在も
 含めて大入満員になるのに一役買っているだろうことを
 思うと最早日本の聖夜は 『繁殖夜』 と言えますまいか。

少子化に歯止めをかける効果があると思えば全く無意味とも思えませんが、
それならそれでキリストさんを引き合いに出すまでもなく、歳末和合祭とでも
銘打っておおっぴらに伴侶恋人と契る日にすれば良いのだけのこと。わざ
わざ他国の神様をダシにするのは基督教信者の皆様に失礼です。

さてはや、そんな乱痴気騒ぎも今夜一晩の辛抱です。我が家は今宵も常と
変わらず、家族三人晩酌団欒です。里芋の煮っころがしでもつつきましょう。

歳の瀬で空気も乾燥してまいりました、どうぞ皆様、火のご用心を。

posted by かまなりや at 17:24| 哲・考・生

2012年12月17日

 じめつ


 民主党が大敗し自滅しました、当然の結果でしょう。
 自民党が息を吹き返しましたが、何れ旧来と変わらぬ政治
 でまた自壊するでしょう。何より、戦後最低の投票率という
 結果が、日本国民の自堕落を露呈しました。

政治は悪い!でも選挙でしか参加できないその権利を行使せず傍観しているのは
問題外に幼稚です。国を見離した国民はいずれしっぺ返しを貰っても文句は言え
ますまい。せめて白票でも良いから参加して、100パーセントとまではいかないま
でも8割ほどの投票率を望みたいところです。6割にも満たない投票率では選挙
制度そのものが意味を持ちますまい・・・自滅としか思えません。

posted by かまなりや at 16:14| 哲・考・生

2012年12月09日

 冬


 今朝は、横浜新井町も冷え込みました。畑は霜で真っ白、
 外のバケツには薄っすらですが初氷がはりました。日中は
 小春でしたが、午後三時過ぎにはまた冷えて、素焼きの窯
 詰めをしていたらすっかり体が冷えてしまいました。

冷えた体には、お燗に限ります。今日は少々熱くして中から温めながらこれを
書いています。今日のお酒は広島の銘酒 『賀茂鶴』 お酒らしい味のしっかりと
した造りが五臓六腑にしみわたります。私の一日はこのためにあるのだといっ
て良いくらいこの晩酌の瞬間が堪りません。

気が付いたら生まれていて、死ぬまで生活をするのが生きることなのですから、
生にどれほどの意味があるでもないことに薄々気づき、でも生きることに投げ
やりでは飲食が充実しないことも理解し、では何の為に頑張るのかと聞かれた
ら、表向きは家族の安寧や将来のためなどときれいごとを言いますが、その実
はうまい酒を呑み、うまい肴を食べ、笑っていられることに尽きます。

野心あふれる家人はそんな私を小人(しょうじん)扱いしますが、私はそれで
充分満足なのです。巨万の富も、文化勲章も、豪邸も別荘も要りません。
この小さな幸せがずっと続くように、明日も身の丈の分だけ頑張ります。

posted by かまなりや at 17:16| 哲・考・生

2012年12月03日

 やがう


 選挙が近づくにつれ野合という言葉が乱れ飛び、新聞の
 見出しにまでデカデカと登場しています。元来の意味が
 不義密通を指す言葉であるので、おおっぴらに使う語で
 はないと思うのですが、時の首相までが口にしています。

日本人は戦後70年弱で本当に莫迦になってしまったのでしょうか?西洋に学
ぶあまり、自国文化を捨てすぎて魂まで売り払ってしまったのでしょうか。いや
いや、そうではありますまい、まだまだきちんと日本人の慎ましさや勤勉さを
矜持している人はいるはずです。

今度の都知事選挙と衆院選が正にその試金石だと思います。

画像は神奈川県海老名市の酒蔵 『泉橋酒造』 の夏ヤゴ純米のラベル
適当な画像が思い浮かばなかったので拝借しました。 拡大しません。

posted by かまなりや at 18:07| 哲・考・生

2012年11月06日

 うつくしさ


『美とは何か?』 これは美術に携わる人には永遠の課題であろうと思います。
一概には定義できるものではありませんし、人によりまた分野により、作る
側からと観る側からと、色々に咀嚼できるものなので畢竟、解釈は複雑です。

 薪を積んだ木口の並ぶ様がことのほかきれいだなと感じ
 ます。美術用語なら、インスタレーションというのが適当
 でしょうか。でも積む方は意識せずに、ただただ積んだ後
 の偶然の結果ですから、美術とはいい難いと思います。

工芸の世界で、意識せずに作ることで美が生まれるといった他力本願な考えが
あります。 『民芸』 などはその代表でしょうか、また 『無作為の作為』 など
という姿勢もあります。美しい物が生まれる幸いな偶然の瞬間はあるでしょうね、
スポーツの世界で、無心になってよい結果がついてくる感じと似ているなと思い
ます。はなっから偶然に頼るのは嫌いですが、自分の仕事の中にそういった無心
の瞬間が発露するような作陶ができたらきっと人智を超えた物が作れるのでしょ
う、そうなることを強く望んではいませんが、そういう感じを味わってみたい気
もします。 でも、偶然の美に拠りかかる姿勢を潔いとは思いません。

薪は意識して積んだら、捗らなくて疲れちゃいそうですねぇ。

posted by かまなりや at 17:36| 哲・考・生